2017/04/20 NEWS

昭和29年の新聞記事に粛粲寶の事が書いてあります。

新聞記事

 

中山青空子様より昭和29年の貴重な新聞記事をお借り出来ました。

切り抜いた新聞記事でしたので、新聞社名のところが丁度入っておらず、「北日本新聞」なのか「北陸夕刊」だったのかがちょっと不確かです。富山での粛粲寶の後援者であったと思われる北村揚村氏による随想となります。

粛粲寶が北村氏に語ったという、絵を描くに当たっての姿勢を知ることが出来ます。また、売れるようになる前の生活の苦しい時代の様子がよくわかります。あまりにも壮絶で、ちょっと驚きますよ。。。

ちょっと長いですが、是非お読みになってみて下さいネ。

(う~~ん、長過ぎると思われる方は、マーキングのところだけでも!)

 

 

 

昭和29年12月20日付 北日本新聞?

「日曜随想」 北川楊村 

「眞に迫るもの」

 

ちょっと旧聞になるが、ロータリーで、民芸家の安川慶一君から聞いた話。

今年の春イギリスで世界の民芸家達の大会があった。日本からは柳宗悦と浜田庄治両氏が出席した。ひじょうに意義のある会合だったそうだが、その折柳さんが「生活にも恵まれ、研究の機会も手段もある作家よりも、僻陲陋巷にうもれた無名の人達のなかから、素朴ながらも美の極致といったような作品の生まれるのはどうしたわけだろう」という問題が提起され、会期一週間のほとんどを費やすほど、真剣な討議がおこなわれたよし。

そして甲論乙駁の末「美しい自然や虚飾の無い人情の中に、世故に心を乱されることなく、平凡ながらも手慣れた仕事をつづけてゆけるからだろう」という結論に落ちついたという。

◇◇

この間、粛粲寶画伯が筆者のところへやって来て、談たまたま民芸のことに及んだ。筆者が安川君の話をしたところ、粲寶君は意外にも「親しいもの、巧みなもの、美しいものはそうした理由から生まれるでしょうが、胸を締めつけ、魂を揺さぶるような真に迫るもの、厳しいもの、恐ろしいものは決して生まれません」と、それこそ真剣になっていう。

そして彼がそう信ずるに至った理由として、筆者に物語ったことがひしひしと胸に迫った。

粛粲寶というのは「日本画の伝統を生かしながら、よく西洋画法の神髄をも捉えて、これをこん然一体とした日本の偉大な画家」と、絵画批評家のエリス・グリリさんに紹介され、今こそ世界的の画家になったが、つい両三年前まではそれこそどん底の生活に喘いでいた。

文字通りの鶏舎を改造した小舎に家族八人が住んでいた。五人の子供が寝静まるのをまって団(布団の皮がなくなって綿だけだから、近所の人たちは団が干してあると笑い話にした)の裾をそっとまくって絵を描いた。その絵が出来ると直ぐそれを友人のところへ持参して朝の米を用意した。露地にまつ子供たちは決してお父さんが帰ったなどといわず「米が来たヨ万歳」といったよし。貧乏を例えて明日の米も無いというが、そんな生優しいものでなしに、朝食えば昼がない、昼の粥をやっとすすると夜の米がない、という極貧振りだったのだ。

◇◇

その頃、彼の大成を信じて力を添えて呉れた人に平和汽船の社長があった。彼は切破つまると色紙をここへ持参したものだ。ところがある日絵を持参したら「水島君(粲寶君の本名)今月は買わなくともいいだろう」という。何故ですかと反問したら「どうしても買ってもらわなければ妻子が飢えるという真剣さが、この絵にはない」といわれてハッとした。

自分にも今まで気づかなかったもの、命懸けの真剣さというものを指摘されてびっくりしたのだ。果たしてその日は米ビツに米があったが、たまたま近くに用事があったので、序に一枚携えたのだそうだ。爾来彼は「真に人を泣かせ動かすものはその日の命につながるものでなくてはならぬ」といいつづける。筆者は襟を正してこの話を聞いた。

筆者も釣にはいろいろ苦心した。しかし所詮は遊びごとだ。この鯛五枚を釣って市場へ持参しなければ、妻子が養えない、というのでなければ本物ではない。

技神に入るなどという釣りが筆者らに出来るはずがない。上手の名人のといったところで、大なり小なり単なる天狗に止まるのだ。

 

【赤字部分注釈】

(注1)正しくは「浜田庄司」氏の名が原文では「浜田庄治」氏と誤記されていましたが、そのままの掲載と致しました。

(注2)僻陲:へきすい へき地の意味

(注3)陋巷:ろうこう 狭くむさくるしい町の意味

 

 

本文中に出てくる柳宗悦氏が中心となって「民芸運動」が起こり、陶芸家の濱田庄司氏等が賛同し一緒に活動しました。日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、また活用する日本独自の運動で、「民芸」とは民衆的工芸の意味となります。

 

粛粲寶も濱田庄司氏と交流があったと中山青空子様より伺ったことがあります。

どんな事を語らったのでしょうね?

 

中山青空子様、貴重な新聞記事を有難うございました。

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