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2017/03/20 NEWS

富山にあった北陸夕刊新聞社刊の「北陸夕刊」に粛粲寶のエッセイとスケッチが連載されていました!その1

皆様こんにちは。

漸く新潟も春らしくなって参りました。

 

本日も、初めて粛粲寶をご覧下さったお客様から、知らない画家だったけれどユーモアがあって非常に癒される絵だったとのお言葉を頂戴しましたよ♪♪

 

さてさて、本題となります。

中山青空子様より古い新聞の切り抜きをお借りしました。

何しろ粛粲寶自身が保管していたものとのことです。赤ペンで囲って、切り抜いたのもきっと粛粲寶本人なのでしょうね。

 

昭和29年(1954年)といえば63年前の新聞記事です。

粛粲寶52歳の時です。

粛粲寶が漸く世間に知られるようになってまだ数年といった頃だったようです。

 

発行後50年以上経過しているとはいえ、念のため新聞記事を掲載してよいものか、著作権に関して今一度調べてみました。

新聞記事は著作者の掲載してない記事に関しては発行日より50年。

著作者の記名のある記事に関しては、著作者の没後50年。

つまりこの新聞記事に関しては「えと文 粛粲寶」とありますので、まだ没後23年ですので、著作権管理者の承諾を得ないとなりません。

その著作権管理者がこの記事の提供者である中山青空子様な訳でありまして、勿論ご許可を戴きましたよ。

 

 

 

北陸夕刊新聞社 昭和29年12月10日 

「師走の富山」① えと文 粛粲寶

 

松川付近

 

1

 

「富山のスケッチを五、六枚描け」と楊村先生の注文。

何でも富山のロータリー・クラブが、これを版画のクリスマス・カードにして、世界中へ紹介するのだそうな。画人の誉れでもあり面白い企てでもある。

日本一とか世界的とかいう言葉の好きな先生の注文。これは一つ立派なものにしなければと喜んで引受けた。

ところが困ったことにその日が雨と来ている。

個展の会場だった大和デパートの七階で天気待ちをしていたが、晴れたから出かけようと思うとまたすぐ降り出す。

とうとう午後二時になってもチャンスがない。

時雨の富山も面白かろうと先生の自動車を拝借して、運転手さんに案内を頼んであちこち回る。天守閣や立山連峰はおきまりとして、まず目に止まったのが神通川の支流にズラリと繋留された舟だ。

運転手さんに訊くと、春は鱒を獲り、夏は鮎を獲り、冬になると鮭を獲る。もちろんひまな時には砂利も肥担桶も運ぶそうだが―。

時雨の降っていないものとして描き上げたのがこれだ。松川というよし。

この川が県庁や市役所の傍を通って運河に落ち、結局有磯の海に流れ込むのだそうな。

ときどき暴れもするよし一寸性格のある川だ。

 

 

文中の揚村先生とは北村揚村氏のことで、北日本新聞社の社長(昭和29年当時なのかは分かりかねますが)だった方で、北日本新聞社が昭和28年(1953年)に北陸新聞の経営権を手放し、百貨店の大和が経営権を引き継いだとあります。

この粛粲寶の個展の会場も富山大和ですものね。

新潟市の古町にも数年前まで大和デパートがありましたね。。。

 

 

 

北陸夕刊新聞社 昭和29年12月不明

「師走の富山」② えと文 粛粲寶

 

富山大橋

 

2

 

手摺りというか、欄檻というか、朽木のお粗末なものだが橋そのものは堂々たるものだ。

向うに土堤が連り、それに桜の並木、しかも相当年古りた桜樹がズラリと見える。

その向うに立山が連っているのだそうな。残雪の連峯をそびらにした爛漫の桜、花の頃が想像される。

それにしても雨で見えない立山を「見えたつもりで添えておけ」と無理な注文。

先生のお宅で朝仰いだ山をこのあたりと想うところへ書き足しておく。出来のよくないのは止むを得ない。

橋の往来には矢張り師走の慌しさがあった。

 

 

冬、富山の氷見から雪をかぶった立山連峰を見たことがあります。

「見えたつもりで添えておけ」、、、確かに立山があってこその富山ですものね。

無理な注文もわかる気がします。

 

 

北陸夕刊新聞社 昭和29年12月不明 

「師走の富山」③ えと文 粛粲寶

 

富山城

 

3

 

これは絵になる景だ。

だれの設計か何組の施工か運転手さんも知らぬがなかなかできがよい。白壁と石垣と水。

松が少し小さいのが一寸気になるが、お城の方もコジンマリしているので、あれでいいのかもしれない。年々大きくなるだろうから。

運転手さんは何か展覧会をやっているのでしょうといっていたが雨のなかを三々五々連れ立つ人達が出入りする。

行く行く郷土博物館として利用されるとかいい思いつきだ。

やはり古い城下町には、こうした郷土の歴史と文化につながった街を象徴するものがほしい。市長さんの人柄が想像できる。

そんな共鳴が手伝ったのか絵も気持ちよく描き上がった。

 

丁度、富山城が出来たばかりの頃のようです。

富山城には長い歴史があるようですが、江戸時代には加賀前田家の分家が支配していたそうです。

昭和29年4月、富山城址の敷地一帯で富山産業大博覧会が開催され、鉄筋コンクリートによる模擬天守が記念に建てられたとのことです。

 

 

 

この記事は5回の連載ですので、あと2つは続きとなります。  

富山で粛粲寶は個展をしており、その際に雨の中スケッチをして廻ったようです。

運転手さんをつけて貰っての駆け足での半日。それが5回の連載になっています。

文章の断片に、粛粲寶の口調が感じとられて味わい深いですよね。

続きもお楽しみに◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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